1月
28
Posted on 28-01-2012
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1月になってからのニュースで、印象的というか、いろいろ考えさせられたのはイーストマン・コダック社の倒産の報道だった。だいぶ前から、映画の関係者の間ではコダックの株価の限りなくゼロに近い状況が噂されていたけど、とうとう倒産、日本式にいえば会社更生法が適用されたそうだ。

デジタル化という社会の変化に遅れをとったというが、フィルム事業にこだわりすぎたのかもしれない。フィルム技術関連のたくさんの特許の売却を図ったがうまくいかなかったとも聞いた。一方、わがフジフィルムはフィルムの技術を活用して写真や映画用のフィルム以外のもの(例えば液晶パネルの保護膜とか)を開発してデジタル時代に対処し、成功した。フジでもフィルムは既に主力製品ではないという。映画史を学んできたものとしては、少しばかりの感慨もある。なにしろ、コダックの名前はエジソンとともに映画史の最初のページに登場する。最初の映画シネマトグラフ・リュミエールも、コダック社のセルロイド製の17メートルのロール、パーフォレーションつきの映画用フィルムで撮影されたのだ。下の写真はリヨンのリュミエール博物館の庭に保存されている、最初の映画『工場の出口』が撮影された場所で写したもの。半透明のスクリーンに工場の出口の一場面がプリントされていて、その後ろに立つと(立っているのは僕だが)、工場の出口の登場人物のように・・・見えないか。

ぼくも現役のカメラマン時代は黄色のパッケージのコダックのフィルムで仕事をしたものだ。もちろんフジフィルムも使ったけど、海外での仕事などではやはりコダックを使った。しかし、テレビの取材のビデオ化→映像分野でのデジタル化という流れの中で、いまや写真を撮るのもデジカメで、フィルムカメラは“敢えて”使う時だけになった。映画自体もフィルムで撮る代わりにデジタルデータで記録するものが増えた。

さらに、映画館がデジタル化している。これも先日の新聞記事だが、全国の映画館で、デジタル上映への移行が進み、大手のシネコンではほぼ今年中にフィルム映写機をすべて撤去するという。いろいろ複雑な事情が絡んでいるのだろうが、とにかく近いうちに映画というものは映写機にフィルムを掛けて上映するものではなくなるのだ。

デジタル上映のための設備に1千万円かかるという。ムリなのだ。独立系の小さな映画館では、設備の導入か閉館かの選択を迫られている。ひどいことになっているけど本当の話だ。デジタル化できずに閉館する映画館は50館かそれ以上という予測も紹介されている。映画の製作、上映、公開の全過程からフィルムがなくなるなどという、信じがたい日が来るのだろうか。

 

1月
20
Posted on 20-01-2012
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1か月ぶりに時どきあれこれ日記を書く。その間、歳末と正月が過ぎて2012年になってしまった。去年の震災や原発事故のことをあれこれ考えたり、ぼんやりしたり、しているうちに暮れや正月はあっというまに過ぎていった。慌しかったり、忙しかったりしたわけではない。時間が過ぎただけ。

正月は長野県の蓼科で過ごした。ことしは雪が少なく、白一色の正月というのではなかったけれど、標高1300メートルの山の中でも道路には雪がなく、用意したタイアチェーンを使わずにすんだのは何年ぶりかのことだった。それでも期待通りの静かな正月だった。テレビもほとんど見なかった(家のテレビにいろいろ録画予約をしてきたが、笑)。

八ヶ岳連邦もいつもの年より雪が少ないか。夕日を浴びて赤く染まっている。右のとんがり山が阿弥陀岳だろうか。左の山が横岳か。実は山の名前はよく分からない、違うかもしれない。

さてベン・シャーンのこと。先週だったか『日曜美術館』でベン・シャーンの展覧会にちなんで番組をやった。親しい友人の吉田秀夫さんが撮影し、杉山幸子さんがディレクター。とてもよかったので、葉山の神奈川県立近代美術館にベン・シャーン展を見に行った。ぼくは三浦半島が好きで、よく行く。うちから車で1時間半もかかるけど、相模湾と、低いが深い山、丘陵地の野菜畑のつくる景色が気に入っている。三浦大根やシラス干しを買ったりするけど、葉山の御用邸前のそば屋もいい。ぼくの孫たちは小さいときから海といえば葉山の海岸だったのだが、何年か前の2年ほど、親が沖縄に住むことになって、沖縄の海を知り、海にもいろいろあることを知ってびっくりしたようだ。

ベン・シャーンの絵を始めて見たのは、ずいぶん前で、たぶん誰かモダンジャズのレコードのジャケットで、だったと思う。細い鋭い線で顔の表情が描かれていたのを強い印象で覚えている。ベン・シャーンが絵だけではなく写真も撮る人だったことや、リトアニアからアメリカにわたった家族の息子だというのも、番組で知った。

展覧会は大規模なもので、充実していたし、ベン・シャーンの魅力に満ちていた。彼の絵には強いメッセージ性があるが、それを線や形に昇華させる才能がただごとではない。写真がたくさん展示されていたのもよかった。写真はなぜか、そのときベン・シャーンが何を考えていたのか判らせてくれるような(本当は分からないのだけれど)印象があって実によかった。

ラッキードラゴンの絵本のことは知っていたが、美術館の売店で売っていた。いつもの三浦半島散歩では三浦大根を買うのだが、その絵本『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』を買った。

展覧会場にも展示されている久保山愛吉さんを描いたという『THE LUCKY DRAGON]』(1960)が日本の福島県立美術館所蔵なのを知って強い印象を持った。フクシマの原発事故と第五福竜丸の被曝の歴史が日本の戦後史の中で繋がっていると、ぼくは考え、去年、そのことをずっと意識してきたのだった。

絵本のアーサー・ビナードのことばもいい。

神奈川県立近代美術館葉山からは相模湾がよく見える

 

12月
20
Posted on 20-12-2011
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「動物文学」という定期出版物がある。ほとんどの人は知らないけれど、戦前から続いている「動物文学会」という団体の、れっきとした機関誌だ。オオカミの生態研究など、犬科の動物についての在野の研究家として知られた平岩米吉氏が昭和9年!に創刊したもので、現在は平岩さんの娘さん平岩由伎子さんが主宰している。実はぼくもその動物文学会の会員で、今では年に1度か2度だけ送られてくる「動物文学」を読んでいる。

先日届いた平成23年・初冬号(第77巻第2号)に中川志郎さんが「東日本大震災と被災動物救援」という長文の記事を寄稿されている。中川さんは昔、上野動物園の園長などをされていた方で、いまは(財)日本動物愛護協会理事長で「緊急災害時動物救援本部」の本部長をされているという。この動物救援本部というのは、1995年1月の阪神淡路大震災の教訓から生まれた組織で、環境省を主務官庁として動物愛護関係の団体などが集まって結成されているそうだ。今回の東日本大震災でも(とりわけ福島第一原発の事故による放射能被害を受けている地域では)、別の場所に避難した人々が飼っていて、置き去りにせざるを得なかった家畜やペットの問題が深刻だ。ぼくたちはテレビ

 などで、原発事故被災地の無人の街や野原を徘徊する犬や猫、野生動物のようになってしまった牛を見て愕然としたものだ。道路を闊歩するダチョウを見たときは異様な感じを受けた。大熊町にはダチョウ園?があったらしい。

中川さんはこれら被災動物たちの悲惨な状況を詳しく報告しているが、原発から20キロ圏の緊急避難指示の出た地域、さらに4月末に出された「警戒区域」の指定によって、動物たちの苦境はさらにひどい状態になったという。緊急災害時動物救援本部がその地域の動物を保護しようにも、行政からの立ち入り許可が出ず、放置された家畜やペットの惨状は、その状況を写した写真ですら正視するに堪えないものだったという。1日遅れればそれだけ犠牲が増えるという当たり前のことが動物には適用されていないらしい。政府の原子力災害対策本部がしぶしぶながら20キロ圏内の動物救出を認めたのは5月10日から8月26日の間、住民の一時立ち入りに合わせた形の例外的措置だけだった。

中川さんは被災地の動物救出を人間の当然の責任として捉え、一連の原子力災害対策本部の対応を厳しく批判している。政府や行政機関の動物への対応の遅さだけが問題なのではない、そこに明らかなのは、人間と地域の回復のための行政機関の想像力の欠如だ。それが家畜やペットへの態度にあらわれている。

ところで、まったく違う話題。

東京には富士見台や富士見坂、富士見町が幾つもあるが、写真はなかなか気がつかない場所の知られざる富士見通り。

杉並区松ノ木3丁目、五日市街道「松ノ木3丁目交差点」から見る夕暮れの富士山

 場所はキャプションにあるとおりだ。ぼくのうちのすぐそばだが、こういう風に富士山が見えるのは、この地点のあたりだけで(少し進むと道が左へ曲がり、建物の陰になってしまう)、しかも空気の澄んだ冬の夕方の時間帯だけしか見えない。この道は南西方向に向かっていて、この当たりではちょうど道路の正面に富士山が位置していることになる。

坂の上とか高台からならともかく、道路上の平らなところで富士山が見える場所は、いまや東京では珍しいのではないかと思う。 

 

 

 

12月
02
Posted on 02-12-2011
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中西悟堂という名前をどのくらいの人が知っているだろうか。もともとは詩人だけれど、詩人としてよりは「日本野鳥の会」の創設者で、自然の中で生きている鳥のことをいうのに「野鳥」いう言葉を使って広め、野鳥の保護を一生の仕事にした人だ。ナチュラリストの嚆矢のような人でもある。

杉並区立郷土資料館分館というのが天沼の天沼弁天池公園にあって、そこの企画展で「野鳥の父・中西悟堂と善福寺池」なる展示会をやっていた。中西悟堂は長く善福寺池の近くに住んでいて、善福寺公園の鳥や昆虫、その自然環境に親しんだ期間があり、地域との関わりが深い。それでこういう企画展が開催されたようだ。

展覧会には中西悟堂の業績を物語る資料や写真、著作や手紙など、大正から昭和、戦後までのたくさんの品物が展示されていた。その中でぼくが興味をひかれたのは詩人・金子光晴が中西に宛てたメッセージの直筆原稿。金子光晴の文章がいい。

「・・・君は自然の進行のなかに生きた詩を求め/鳥や草を友とするとともに、素はだかで/その心にわけ入り/いのちの花咲く美をわが物にした/君のしごとこそ/真実でゆるぎなく/詩のうちの詩ということができよう/生涯の暮方にきて/再び僕は君の明知と/才能を讃え、頭をさげる」

前段に若い頃の中西の詩への賛辞があった後の文章だが、こんなに率直な金子光晴もあるのかと、少し驚いた。1970年代の原稿だと思うけど、展示にはその解説や表示がなく、いささか不備。ついでに言えば、中西悟堂は家では四季を通して下穿きひとつの裸で過ごした人だが、そういう写真が一つも展示されていないのも不思議なことだ。チラシにあるようなきちんとネクタイをした中西の写真はむしろ珍しい。

 

 

11月
21
Posted on 21-11-2011
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先日信州へ行ったので、トウガラシを買ってきた。トウガラシなど東京でもどこでも買えるけれど、何年も前からトウガラシは長野県の原村か茅野の野菜直売所のようななところで買うことにしている。理由は特にないけど、安い。たくさん買うから東京では結構な値段になる。うちに帰ってから、ざるに拡げて日に当てて干す。

これがそのトウガラシだけど、たぶんCayenne系の種類だと思う。トウガラシにはたくさんの種類があって、辛さもいろいろだ。韓国で作るキムチにも甘いのや辛いのを何種類もいれるという。トウガラシはナス科の植物で南米大陸原産だけど、いまや世界中に広まっている。その味といい、香りといい刺激的で、なんとも画期的な食材だ。色も素晴らしい。世界中にトウガラシファンがいる。ぼくもその一人だ。Cayenneは南米のフランス領ギニア原産だそうだけど、適当に辛くバランスがいい。Habaneroというカリブ海原産の種類は世界一辛いといわれている。今年は原村の市場では売っていなかったが、長野県でも作っている農家があるらしく、時どき手に入る。東京の高級食材店でも手に入ることがある。Habaneroには狂信的な愛好者がいて(ぼくの友人にもいる)、あたり一面トウガラシの辛さにまみれるマニアックなハバネロパーティなんかが開催されるらしい。ぼくはそういうのではないが、ハバネロの辛さと香りは愛好している。

写真のトウガラシはよく乾くまで干して、保存し、いろいろな料理に使う。ぼくがトウガラシを使うのはスパゲッティ、マーボーとうふ、エビチリソースなどのチリソース料理、青魚のトウガラシ味の煮物などなど、たけのこを茹でるときにも1本入れる。写真の量で来年いっぱいぐらいは間に合うだろう。

 

11月
09
Posted on 09-11-2011
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もう11月9日、晩秋だ。10月は1度もブログを書かなかった。書かなかった理由は特にないのだけど、なんとなく慌しかったのかもしれない。ヒトゴトのようだけど、そんなもんだ。書かなければいけない原稿が幾つかあったが、それに時間をとられていたというのでもない。写真もあまり撮らなかった。何をしていたのだろう。

僅か1か月ぐらいのことでも、何をしていたのか、手帳を見ないと思い出せない。

10月のはじめに山形に行った。2年に1回開催の山形国際ドキュメンタリー映画祭だったのだ。山形ではドキュメンタリー映画をたくさん見た。何本見たか思い出せないぐらいたくさん。今年は、やはり3.11の大震災を撮った映画が「Cimema with Usともにある」という括りでたくさん集まっていた。若い人たちがやむにやまれず撮ったという感じの映画を何本も見た。中では『相馬看花』という松林要樹さんの映画が、ぼくにはピンときた。傑作だと思う。他ではコンペ作品『光、ノスタルジア』というチリのパトリシオ・グスマン監督の映画がおもしろかった。これはなにか賞を取った。山形で映画関係の友人たちに会えたのもよかった。

東京でも映画は見た。といってもいつもの月よりは少ない。山形でたくさん見たからね。山村浩二のアニメーション『マイブリッジの糸』、松江哲明『トーキョードリフター』なんかを見た。いずれもいい。それから鈴木志郎康の作品上映がイメージフォーラムであり、『あじさいならい』『眺め斜め』『比呂美ー毛を抜く話』を見た。伊藤比呂美がゲストトークに来て、二人の話がおもしろい。鈴木とも久しぶりに会って話をしたのもよかった。思ったより元気そうで少し安心。奥さんの麻里さんにもちょっと会えた。

どうも、マイナーな映画ばかり見ているな。

10月の大きなニュースはブータンで日本の昆虫学者の調査隊が「ブータンシボリアゲハ」を発見したというのがあった。80年前にイギリスの探検家が採集したまま、その後は発見されず、幻の蝶だった。NHKが同行取材していて、発見採集の様子がNスペで放送された。交尾や産卵が記録されていて、見事だった。幼虫の食草はガガイモだというから、ジャコウアゲハとかホソオチョウに近い種類かなと思う。いずれにしても蝶マニアには大きなニュースだ。

もう一つ。うちのテレビのハードディスクが壊れて録画が出来なくなった。ぼくは仕事柄番組の録画は欠かせないので、あわててメーカーを呼んで基盤を交換してもらって直したけど、買って1年半しかたっていないのに困ったもんだ。

下の写真は近所の幼稚園の生垣に咲いている西洋種系のアサガオだけど、アサガオというのは秋の花らしい。夏はほとんど咲いていなかったのが10月になって俄然咲き出した。西洋種アサガオは朝だけでなく、夕方までひらいている。パリの自然史博物館の前の植物園で、以前見たこの花は巨大な鉢に植えられた大木(?)で、見事だった。

 

 

 

 

10月
03
Posted on 03-10-2011
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急に涼しくなって、やっと秋になった感じがする。9月になって、紀伊半島に大被害をもたらした台風12号と首都圏で猛威をふるった15号が通過して(今年の台風はどうしてこんなに動きが遅いのか)、夏が終わったのだろう。それにしても日本はなんと自然災害の多い国だろう。

急に秋になって夏の猛暑がウソのようだ。そして、季節が変わると風景も変わる。

例えば花だ。秋の花の一番はキンモクセイだろうか。今年はいつもより遅いような感じだけど、やっとあちこちからキンモクセイの香りが漂うようになった。すっかり涼しくなった空気に似つかわしい香りだ。

キンモクセイは時に、2度咲くことがある。年によって9月の早い時期に咲くと、1度散ってから10月半ばにもう1度咲く年がある。でも今年は遅めだったから2度は咲かないだろうけど。

樹にもよるが、今日あたりが最盛期かもしれない。雨が降れば、たちまち散ってしまう儚い花だ。

 これは彼岸花。学習院大学の構内でみた彼岸花に、クロアゲハが幾つも集まっていた。見れば見るほど不思議な形をした花だけど、蝶が集まるところをみると花には蜜があるのだろう。

一面に群生して咲いている彼岸花の写真をよく見るけど、林の中にぽつぽつと少しずつ咲いているのがいいと思う。

左は何の花か知っていますか?

カラスウリの花だ。秋の終わりごろ濃い朱色の小さなラグビーボールのような実をつけるヤツ。もう花の時期は終わったと思うけど、真っ白いレースのような花が夜ひらく。この写真、本当は花の正面から撮りたいのだけど、それだと背景が黒くならない。いろいろカメラアングルを探せばいいのだが、これ、他所の家の庭先にあるのを塀越しに撮っている。しかも深夜11時ごろ撮影したので、あんまりうろうろできないという事情があった。それで、横からの写真になってしまった。しかし純白の細い糸のほつれたような花の感じはでているか。

9月
30
Posted on 30-09-2011
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きょう練馬区の武蔵大学構内でアカボシゴマダラがひらひら飛んでいるのを発見。またか!とびっくりした。蝶好きの間ではかなり知られているのだが、この蝶は日本では奄美大島だけに生息する。それが最近(といっても1990年代の終わりごろか2000年ごろだから、かなり以前だ)になって神奈川県藤澤市や鎌倉市で目撃されたり捕獲されたりし始め、東京でも、2006年ごろから同様の状態になったという。ぼくは去年の夏も、キャンパス内ではっきり目撃したし、今年も9月の始めに自分のうちの庭で見た。そういう訳で「またか!」なのだ。こうなると偶産種ではなく、誰かが人為的に飼育した個体が繁殖を繰り返しているもの(幼虫は奄美ではリュウキュウエノキだが、関東ではエノキだろう)と考えられる。ネットを検索したら、アカボシゴマダラの目撃情報ばかりか、幼虫や蛹の写真まで掲載したサイトがたくさんあって、これまたびっくりした。で、とにかくきょう撮った写真でアカボシゴマダラを見てください。しゃれた模様の美しい蝶だ。

2011年9月30日東京都練馬区で撮影

ぼくのような古い蝶マニアは奄美大島特産の蝶だと思っているから、実に変な違和感がある。ぼくはこの2年間、東京で何度も見ているにもかかわらず、である。実際、1977年に出た蝶類図鑑でも、1994年発行の図鑑でもアカボシゴマダラは奄美大島のみに産するとされている。

ネット情報では、いま東京や神奈川に生息するアカボシゴマダラは、後翅の模様の違いなどから、奄美産のものではなく中国大陸産の亜種だという。つまり、誰かが中国産の蝶を持ち込み、飼育して放ったことが想像できる。

ウーム・・・と唸って、環境省のHPの「要注意外来生物リスト・昆虫類」をみると、次のように書かれている。

「アカボシゴマダラ:ゴマダラチョウとの競合が懸念されている。Hestina assimitis shirakii が奄美大島に在来で分布するが、神奈川県などで分布を拡大中の種は国外産の亜種である。植物防疫法の基つく検疫有害動物として輸入が禁止されている種であり、国内で意図的に放蝶して野外への定着を試みる行為は、被害の予防の観点からも、厳に慎むべきである。」

その通りだが、ちょっと手遅れの感がある。もっとも、人為的な放蝶はアカボシゴマダラだけではなく、1978年以降東京に定着、生息しているホソオチョウというジャコウアゲハの近接種は韓国から持ち込まれたと推定されているが(東京から甲府までの中央線沿線のみに定着しているといわれる)、もう30年以上前からなのに、この蝶についての環境省の見解も、アカボシゴマダラとほぼ同じ内容だ。指摘するだけなのだ。

それはともかく、アカボシゴマダラの翅の模様はデザイン的にも見事だと思う。昆虫の模様の見事なことには、時に驚かされる。写真をもう1枚。

手のひらにも止まった!

 

 

 

 

 

9月
17
Posted on 17-09-2011
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3月の大津波に打ちのめされたばかりだというのに、半年後には、こんどは大雨と土砂崩れだ。川の氾濫も恐ろしい。奈良や和歌山の山間部の深い谷に囲まれた村や町の被害が甚大だった。まったく自然災害の多い国に住んでいるものだと、つくずく思う。

東京の中小河川も以前は氾濫や洪水の危険があった。最近は川の整備が進んで、分水路や調整池が出来て、ずいぶんよくなったけど、9月始めの大雨では、石神井川や神田川で危険な水かさを越えた場所があったらしい。

「東京は坂の街大阪は橋の街」というらしいけど、東京にも川は多い。僕の家に近いのは善福寺川で、これは神田川の支流のひとつだ。善福寺公園の池の湧水が水源で、杉並区和田1丁目7番地の和田廣橋近く、水源から11.3キロの地点で神田川に合流する。神田川は井の頭公園の池が水源だ。

神田川と善福寺川の合流地点。手前が善福寺川奥が神田川だ。このあたりは川が区界になっていて、手前は杉並区和田1丁目、対岸が中野区だ。

 写真を見ると神田川の水が白く濁っているのが分かる。前日雨が降った名残だろう。善福寺川のほうは既に濁りがなくなっているのか。神田川はこの後、中野区、新宿区を北東に進み、妙正寺川を合流する。1970年代に下落合の高台に住んでいたことがあって、その頃、神田川・妙正寺川は西武新宿線下落合駅の近くが合流点で、そこがよく洪水になって大騒ぎしたものだった。今は落合水再生センターというのができたりして、妙正寺川は大きい道路の下を暗渠になって流れ、明治通りのあたりの豊島区の高田橋で神田川に合流する。妙正寺川の源流は杉並区清水3丁目の「妙正寺公園」の池だ。

神田川水系は水源がすべて都区内(井の頭公園は武蔵野市だが)にある。もともとは徳川家康の時代に江戸の町の飲料水確保のために郊外の湧水から水を引いた神田上水だ。江戸の多くの地域は海に近く、井戸を掘っても塩水ばかりで飲み水にはならなかったそうだ。

神田川は都内の中小河川では最大規模だが、神田川本流の大きな特徴は都区内から都心を流れているにもかかわらず、暗渠の部分がなく、どこでも川面が見えることだ。

神田川はそのあと江戸川橋、大曲を経て飯田橋の先で江戸城外堀と一緒になり、日本橋川を分岐して水道橋から御茶ノ水の谷、聖橋、万世橋、浅草橋、柳橋などなどを通り、両国橋のすぐそばで隅田川の入る。水源からの全長24.6キロだそうだ。

杉並区和田あたりの神田川左岸には下の写真のような鳥獣虫魚の飾りがたくさん並んで立っていてなかなかいい。

 

 

 

 

 

8月
30
Posted on 30-08-2011
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サッカーのザッケローニ監督が記者会見で聞かれて、東京はとても住みやすくて気に入っている、地下鉄も便利で乗りやすい、銀座や表参道や渋谷によく行く・・・のようなことを話していた。ザッケローニが何処に済んでいるのか知らないけど、そうか渋谷にも行くのかと思った。渋谷の、歩いている人の多さはゴメンなので、僕はなるべく行かないのだけど、ザッケローニはあの人込みを歩くのだろうか。

その渋谷駅前の交差点だが、なるべく行かないようにしている場所だから、東京の好きな風景という訳ではない。でも、この風景には見とれてしまう。

JR渋谷駅から井の頭線に行くコンコースの3階から、ウイークデイの午後5時半ごろ撮った写真だけど、ちょっと壮観。いつもお祭りのようだといった人がいたけど、本当にそうだ。実際、W杯の時などサッカーファンによるお祭り騒ぎもあるらしい。そういう場所として、既に認知されているのだろう。

こういう交差点は世界中にも他にはないのではないか。よく、この場所から外国人が写真を撮っているのを見かける。だいたい、スクランブル交差点というのが外国にあるだろうか、僕は記憶がないのだが。ネットで調べたら2009年10月だかに、ロンドンのオックスフォードサーカスに始めてスクランブル交差点が「お目見え」したというニュースがあった。それも渋谷のヤツをお手本にして作られたという。Tokyostyleというそうだ。そのトーキョーでもここが一番だろう。

正面奥のビルはTSUTAYAとスターバックスだ。TSUTAYAはいまや単なるレンタルビデオ屋ではないし、スタバは世界中どこの都市でも、その街の一番いい場所に店を構えている。つまり、スタバがここにあることで渋谷駅前交差点は東京一の場所になった。

余談ながら、京都三条大橋ぎわの鴨川に接したスターバックスのロケーションは世界一ではないだろうか。