7月
05
Posted on 05-07-2012
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鳥の中ではカラスがおもしろい。カラスの行為はいつまでもあきないで見ていられる。

カラスは漢字で書くと烏だが鴉とも書く。カラス、からす、烏、鴉で、それぞれ違う鳥のような印象だが、どうだろう。ふたつの漢字の謂れは知らないけど、カラスの賢そうでずるそうな複雑な性格(のように見える)を表してはいないか。

少し前の土曜日、朝から家の周りでカラスがしきりに騒ぐ。それも1羽や2羽ではなく、あちこちにたくさん居るような鳴き声なのだ。外に出てみると、電線やテレビアンテナにカラスがいっぱいとまっている。大きなスーパーの前の電線にたくさん居たから、その辺になにかエサになるものがあって狙っていたのかもしれない。それも、単にゴミとか弁当の食べカスとかではなく、動物の死骸か何かがあって、彼らが興奮していたような気がする。人通りが多くて地上に降りる隙がなかったのかもしれない。鳴き声に応えて他の仲間が次々に集まってきたような気配だ。                                                                                          

 これらの写真がその時のものだけど、こういうことが時どきある。1年に1回か2回ぐらいか。だいたいカラスの子育ての時期が多いけど(6月か)今回は理由は分からない。株主総会とか原発反対デモのような気配もある。

僕のうちの周りはカラスが多いのかもしれない。大宮八幡神社の森がねぐらになっていて、善福寺川で水浴びをする奴らをよく見かける。一時、東京都の捕獲作戦が成功して少なくなったようだが、近頃また復活しているようだ。

 カラスがおもしろいのは、観察していると何をしようとしているのか、だいたい分かることだろう。擬人化して見ているのかもしれないが、人間の感覚に通じるような「なにか」がカラスにはたしかにある。

鳴き声なんかもカラスの場合、ことばになっているようにも思える。仲間同士で喋っているとしか思えないような鳴き方をしている。

カラスの姿を写真に撮るのはなかなか難しい。大抵カメラを向けると飛び立ってしまう。カメラを持っていないと直ぐそばまで行っても逃げないのだが。しかし、カラスの群れとなればまた別だ。

昔、北海道に居た頃、ずいぶんカラスを撮ったことがある。根室の原野の外れの牧草地かどこかで、夕暮れ、あたりが暗くなって空だけがかろうじて薄明るいという時間に、カラスの群れがねぐらに帰る前の興奮をさますのか、空一面を覆うように飛び交う。それはこちらも興奮するような被写体だった。

 

 

 

 

 

 

 

6月
21
Posted on 21-06-2012
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一昨日の夕刊に「本の迷宮にようこそ」という見出しの記事があった。丸善丸の内店4階にある「松丸本舗」と名前のついた棚の、本の独特の並べかたが紹介されている。「文脈棚」というのだそうだ。「松丸本舗」では本の棚は渦巻きのようにぐるぐるっと並んでいて、本の並びも例えば岩波文庫「ブッダのことば」からマンガ「テルマエ・ロマエ」、文庫クセジュの「古代ローマの日常生活」と続き、ホメロス、ダンテという風に並んでいるのだそうだ。本の分類を著者別や分野ごとに分けるのではなく、読者(お客)の関心の連鎖に呼びかけるような並べかたをしている。こういうのを考えたのは編集工学研究所長の松岡正剛さんという人。松岡さんは昔見せてもらった武田泰淳さんの書庫のイメージからこれを考えたという。武田泰淳さんは「本は天体ショーみたいなもの」と語っていたそうだ。

なるほど。他の本屋さんでも、これと似たような、例えばテーマごとに様々な著者の本をまとめる並べ方をしているのを見たこともあるが、書店では本の並べ方(棚の作り方)次第で売り上げが大きく違うというのも聞いたことがある。

また、「文脈棚」のようなのは、ある種のこだわりを前面に出している古書店の目録にもある。僕の知っているのでは大田区の「月の輪書林」の目録だ。毎回テーマを定めた分厚い目録で、月の輪書林店主の思考過程が本の並びに「表現」されている。例えば「月の輪書林古書目録12・特集寺島珠雄私記」。アナーキスト詩人寺島珠雄の著書、雑誌掲載記事から、寺島に関する記事や著述、同時代の関連書、寺島の著述に関わる諸々など、それほど著名ではない詩人について1万5千冊程の書名が並んでいる。450頁に及ぶ目録だ。驚くような連想や関連性への好奇心、また書物によって世界の果てまで連れ去られるようなスリルに満ちた本の連鎖だ。文脈をたどりながら書物の森に迷い込むような感覚がある。古書店の目録だが、これ自体が豊穣な読書体験を突きつける。確かに本の連鎖はスリリングだ。

で、僕の本棚を眺めてみると、並べ方はいかにも平凡。だいたい分野ごとにまとめて、同じ著者の本を集めている。僕は映画に関する本が多いが、残念ながら本の並べ方で何かが見えてくるというほどのモノではない。月の輪書林はムリとしても、松丸本舗風に並べ替えてみようかと考えたが、めんどうになってやめた。

映画に関する新書版を並べた書棚の一部分。本の大きさや形で集めている。およそ文脈的ではないか

 

 

6月
09

今年のアカデミー賞で作品賞や監督賞他5部門で受賞した『アーティスト』という映画はモノクロ、スタンダードしかもサイレントという触れ込みで、1920年代末のトーキー登場の時代の映画製作現場を描いた作品だ。同じ時代を扱ったものにアメリカ映画『雨に唄えば』(1952年)があるが、こちらはジーン・ケリーとスタンリー・ドーネンによるミュージカル映画。言うまでもなくトーキーになって新しく登場したのがミュージカル映画だといえるから、二つの映画は片やサイレント映画そのままのスタイルを強調し、もう一方はトーキー映画の手法でサイレント映画時代を描いたということになるか。もっとも、『アーチスト』でも音楽は終始鳴りっぱなしだったけど、無声映画時代の上映でも生演奏がついていたわけだから、不自然とはいえない。

いずれにしても、無声映画からトーキーへの映画技術の転換期のゴタゴタはドラマチックなエピソードにあふれていておもしろい。

僕は『アーチスト』を銀座シネスイッチで見たが、劇場で聞いたらフィルムでの上映だった。こういうモノクロ、スタンダードの映画をDLP上映(デジタルデータによる映画上映システム)でやっていたらマンガだな・・・と思っていたけど、さすがにそういうことでもなかった。もっとも、同じ時期に新宿ピカデリーではDLP上映だった(確認してないけど)というから、映画メジャーのDCI(Digital cinema Initiative)構想が拡大しているのがよく分かる。

映画の上映システムがデジタルに統一されつつあるのが問題になっている。前にコダックが倒産してイーストマンのフィルムの製造がヤメになったことをこの日記に書いたけど、なんであれ、ひとつに集約してしまう効率主義はくだらないというのが僕の立場だ。表現に関わるものに必要なのはひらかれた多様性だろうから。

とはいえ、もともと映画というのは登場した時からその時代の最新の科学技術で成り立っていたし、科学技術の進歩とともに発展してきたわけだから、映画が新しい技術を排除することはありえないだろう。ただし、技術というものをどのように考えるのか。1927年のトーキー登場以降の映画表現について、ロベール・ブレッソンは言った「トーキー映画は沈黙を発明した。/絶対的な沈黙と、物音のピアニシモによって獲得される沈黙と。」表現の世界での技術のありようは単純ではない。デジタルのように白か黒かプラスかマイナスかでは説明は出来ない。

本棚の隅で羽根を広げるアゲハチョウ。 この蝶、少し黄色の色素が不足気味ではないか

きょう東京でも梅雨入りしたという。今降っているのも五月雨ではなく梅雨。半月ほど前に庭のレモンの木についていたアゲハチョウの幼虫が蛹になったので、枝ごと部屋の本箱の隅に置いておいた。きのうの朝羽化して蝶になったのを発見した。

 

5月
06
Posted on 06-05-2012
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4月はこの日記を一度も書かなかった。理由は特にないけど、忙しかった訳でもない。

親しい友人が半年の闘病のあとに亡くなって、茫然自失、何も手につかずに憂鬱な日々を過ごしていた。

近所の、区立図書館に行く道にある空き地にいつの間にか菜の花が群生して、突然写真のような風景が出現したのには驚いた。

野生?の菜の花というのがあるのかどうか、ある日突然こうなった

この空き地は戦後すぐに建てられた小さな公営住宅がいっぱい建っていたのだが、何年か前にすべて解体されて更地になっていた。500坪以上ありそうな広い空き地がそのままになっている。菜の花がこんなにたくさん咲いたのは始めてだ。誰かが種をまいたのだろうか。菜の花畑という感じではなく、野生ッぽい。奥に見える小さな建売住宅風もそれらしくて、ちょっとおもしろい風景。

だからどうということもない、ただそれだけ。

春先アレルギーは依然として治らず、それも憂鬱の理由だ。いつも5月の連休の後の週には信州の蓼科に行くのだが、それをキッカケに花粉症が治まる。あと数日かな。

3月
30
Posted on 30-03-2012
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毎年おそわれる重症の「春先アレルギー」にもめげず、世田谷の弦巻という、あまり縁のない界隈に出向き、竹内公太という人の個展(?)を見に行く。花粉症というが、僕の場合はアレルギーの元凶、正体はよく分からない。症状としては典型的な花粉症。涙目が痒く、くしゃみを連発して、洟をかみ続ける。それでも、強い南風に吹かれながら出かけたのは、一部でかなり話題を呼んだこの展覧会「公然の秘密」がもうすぐ終わってしまうからだが、なるほど、なかなかおもしろかった。

世田谷の住宅街のバス通りに面した小さなビルの1階の倉庫のようなアートスペースで、それは開催されていて、入り口の様子は写真のような感じだ。

腰を屈めないと入れないような小さな扉があって、「入り口はこちらです」と書かれている。そこから中に入るのだが、上の両方の写真に写っている縦長の小屋の中に向こうむきに座った人物がいる。たぶんそれが「竹内公太」なのかと思いながら、中に入るといくつかの展示物が壁面や画面上に展示されている。大きな壁面をスクリーンのように使って、「指差し作業員」の映像が映し出されている。福島第一原発の骨組みだけの無残な姿をさらした原子炉建屋を背景に、白い防護服に身を包んだ作業員がこちらに向かって(カメラに向かって)指差している。よく見ると画面は動いている。全体で25分ぐらいの動画なのだ。ずっと見ていると、終わりの方で人物は手前の方に歩いてきて画面から消え、しばらくするとまた現れて、こんどはカメラに近い位置に立って(前より大きなサイズになって)同じ指差しの動作を続ける。それ以外には人物はほとんど動かない。映像の前に立って見ていると、画面の人物はつまり僕に向かって、じっと指差しているのだ。それがなかなかスリリングだ。

「竹内公太」は福島原発の作業員募集に応募して、作業員を務め、その様子をブログに書いたり、東電の記者会見にも出て、質問したり、ということを続けてきたのだという。それがこういうアートパフォーマンスに昇華したのだろう・・・とまぁ、僕は勝手に想像しただけだが、本当のところはどうだか分からない。というより、そんなことはどうでもいいともいえる。

会場には作家と話のできる装置があって、僕も、それを使って会話をした。椅子の前に、マイクのように置かれた紙コップのようなものに口を近つけて声をかけると、返事がある。入り口の小屋にいた人物が返事をしてくれるのだ。外と室内はよろい戸のようなシャッターで遮られている。紙コップのマイクは外と糸電話で繋がっているのだという。かすかに声は聞こえるし、質問に答えてくれるが、姿は見えず本当に竹内公太かどうかは分からない。しかし僕は質問をしてみた。少し意地の悪い質問だ。

「この映像を撮影したカメラは『ふくいちライブカメラ』ということですけど、それは何ですか?東電の監視用カメラですか?映像の録画は誰がしたのですか?それを提供されたのですか?・・・」

糸電話を伝って返ってきた返事に僕は大笑いした。糸電話の相手は「ええと、まぁ、記憶があいまいで、よく覚えていません・・・」といったのだ。紙コップに向かって僕は「あ、そうですか、分かりました」といって笑ったけど、それが相手の耳に届いたかどうかは分からない。何しろ、糸電話での会話は声が小さくて、やっと聞こえるかどうかの音量なのだ。

僕は、このパフォーマンスが何かを暗示しているのかどうか、という風には考えない。でも、例えば安部公房の小説を読みながら体験するようなスリルに近いものを感じるのは、たぶん僕だけではないだろう。

何年か前、大学の授業で写真表現を取り上げたことがあって、僕は「写真の人物は何を見ているのか」という共通のテーマで、広告写真や肖像写真、報道写真を解析したことがある。そのとき、この「指差し作業員」の画像も使いたかったなぁ・・・と思ったものだ。

 

3月
09
Posted on 09-03-2012
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去年の3月11日は、これまでに経験したことのない大きな地震の揺れに遭遇し、家から飛び出したが、揺れがおさまったので近所の歯科医に行った。予約してあったのだ。治療用の椅子に横になり、大きく口をあけたとたんに、かなり大きな余震が来て、歯の治療は中断した。胸の前に小さな前掛けのようなものを付けられたまま、うろうろした。歯医者さんも手に何か治療の道具を持ったままおろおろしていた。

そして1年後のきょう(3月9日)、僕はまたその同じ歯科医に行った。年に2度ぐらい、季節の変わり目に(と歯科医はいう)、歯茎の奥のほうが炎症を起こすらしい。原因の歯(親不知)を抜くのは難しいらしい。「去年は11日に来た」というと、「まぁよく覚えてますねえ」と歯科医の女医さん。「地震だったから・・・」「まぁ、もう1年になるのねぇ」。口の中を消毒して、薬をもらっておしまい。

大震災1年といっても、たいていの人は、そういわれないと忘れているのかもしれない。半月も前から大騒ぎをしているのはメディアだけということか。テレビが「大震災1年」の特集のようなものを毎日やっているのは、正直、かなわんなぁという気もする。どれも真面目に作られた番組なのはよく分かるが、「絆」の氾濫みたいになってもなぁ・・・とも。

去年は災難続きの年だった。津波や原発事故のことがいわれるが、紀伊半島の水害と土砂崩れも未曾有のことだった。長期間モメ続けた内閣をめぐる政争もひどかった。その中でほんの少しあったいいことといえば、なでしこジャパンとブータン国王の来日だろうか。その国王が土産に持ってきてくれた「ブータンシボリアゲハ」の標本が公開されて、東大の博物館と東京農業大学博物館に展示された。もともと日本の蝶類学会の調査隊が去年の夏ブータンの山岳地帯で80年ぶりとかに再発見した幻の蝶だ。世田谷の農大博物館でその標本を見てきた。

自然界の生物に、何故こんなにモダンでしゃれたデザインが生まれるのか、不思議としかいいようがない美しさ。

ガラス越しだから蝶の生々しさがもうひとつだが、蝶好きの僕にとってはまたとない機会だった。ところで、この特別展示があったのは東京農業大学「食と農」の博物館という。世田谷の馬事公苑のそばにある。もちろん僕も始めて行った。食と農というだけあって、いろいろおもしろい展示がある。なかでも実にたくさんの鶏の剥製標本のコレクションはすごい。入場料は無料の施設だ。カフェもあって、僕はコーヒーとサツマイモ・リンゴパイを注文したが、味は「中の中」だった。

今年も庭のレモンを収穫した。去年は2月中に収穫して、3月始めにはママレードをつくり、このブログに書いた記憶があるけど、今年は少し遅い。冬の寒さの影響かと思いきや、なに単に怠けていて遅くなっただけだ。レモンの収穫は造作もないが、高く伸びすぎた枝を切るのがたいへんなのだ。レモンのついた枝ごと切るのです。枝は小さなノコギリで切る。いちばん安物の、千円ぐらいのノコギリを買ってきて使うのだが、だいたい3回使うと切れなくなってダメになる。枝を切る必要のある木が3、4本あるから、ひと冬でノコギリ1本ダメになるということだ。

今年はレモン60個ぐらい獲れた

 

2月
27
Posted on 27-02-2012
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先週、久しぶりに逢う古い友人夫妻を訪ねて岡山に行った。そのついでに、というか、合間に岡山からJR瀬戸大橋線に乗って瀬戸内海を渡り、香川県丸亀にある猪熊弦一郎現代美術館へ行ってきた。前から一度行きたいと思っていたのだ。

瀬戸大橋は鉄道と自動車道路が2階建てになった橋だが、鉄道が下側で道路がその上にある。僕は車でここを通ったことはあるが、鉄道は始めて。そして、海の上の架かった橋を渡る実感は鉄道の方が断然すごいと知った。海上を走っている間、列車の窓から真下の海面がよく見えるのだ。車で走るとそういうことはない。備讃瀬戸の島々が瞬く間に通過してゆく。昔取材で行った事のある与島や櫃石島を上から眺めているうちに、列車は四国に入った。

猪熊弦一郎の美術館は予讃線の丸亀駅前にある。文字通り駅前美術館だ。にぎやかな商店街もなく人通りも少ない駅前の空間に写真のような巨大な建造物があって、これが美術館の正面だ。

猪熊弦一郎は1993年に90歳で亡くなったが、ポピュラーな人気のある画家として活躍してきた人だ。画家としての大きな業績はもちろんだが、僕らには上野駅のコンコースに描かれた壁画「自由」(1951年制作)や戦後ずっと描いていた「小説新潮」誌の表紙が記憶に残っている。大正11年に入った上野の美術学校の同期生に、岡田謙三,荻須高徳、小磯良平などの逸材(他にもキラ星のごとく)がいたというからすごい。

タブローではアンリ・マチスの影響が感じられるような人物像や女性の顔の絵が印象的だった。実際、1930年代後半にパリで学んでいた猪熊にマチスが「お前の絵はうますぎる」と言ったという逸話があるらしい。

1902年高松市生まれだそうだが、少年時代から丸亀で育ったという。それで丸亀市に個人美術館が建てられたのだろう。ここでは、フラッシュを使わなければ、展示作品は自由に撮影できる。ゆったりとした壁面に大きな作品が掛けられ、モダンで贅沢な空間がひろがっている。

 たいていの画家は高齢になっても絵を描いているが、猪熊の場合も晩年に描かれた、ちょっとしたスケッチやコラージュ、さまざまな造形物がじつにおもしろい。一筆書きのような小さなスケッチなんかにも描写の素晴らしさが感じられる。ピカソもそうだが、こういうところにも画家の精神の運動の緊張感が表れている。

 

2月
12
Posted on 12-02-2012
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一昨日、というのは2月10日(金)のことだが、夜、アテネフランセ文化センターで小川紳介監督に関わるシンポジュウムがあって、聴きにいった。

小川さんは1992年2月7日に56歳で亡くなった。ことし、没後20年になるのだ。それを記念したシンポジュウムのテーマは「世界の中の小川紳介」。出席した発言者の顔ぶれを見ると、このテーマの意図するところが鮮明に見える。阿部マーク・ノーネス氏、アメリカのミシガン大学准教授でアジア言語文化の研究者、生前の小川との関わりの中で、1990年代、山形の映画祭で幾つもの企画のコーディネーターを務めた。著書に「Forest of pressure;Ogawa Shinnsuke and Postwar Japanese Documentary」がある。武蔵大学が所蔵する小川の映画についての冊子を出した時には執筆してもらった。今回、そのとき以来5年ぶりに会って話をした。

つぎに評論家・プロデューサーの太田昌国氏、「シネマテーク・インディアンス」を主宰し、ラテンアメリカの民族問題に関わる活動を続けている。特にボリビアのウカマウ映画集団の作品の自主上映活動の中心的な役割を担っている人である。もうひとりはティエリー・ルナス氏、フランスの映画評論家、プロデューサー。先鋭的な映画上映集団「カプリッチ・フィルムズ」の代表で、東京日仏学院で開催中の「カプリッチ・フィルムズ」映画の上映イベントのために来日中だった。今回、小川紳介の映画をはじめて集中的に見たという。この3人の発言者の顔ぶれを見ても、「世界の中の小川紳介」が持つインパクトが想像できる。司会をした映画評論家・研究者の北小路隆志氏には「反到着の物語」という非常に優れた小川紳介映画についての論文があり、ウカマウ集団についてや「カプリチョ・フィルムズ」の関わるペドロ・コスタの作品についても執筆している。

阿部マーク・ノーネスや太田昌国がそれぞれの立場から語る発言にも大いに刺激されたが、今回初めて小川映画をみたというルナスが、小川映画の今日的な意味をずばりと語ったのには驚かされた。彼は、フランスでは小川は全く知られていないといいつつ、小川が映画製作だけではなく、自分たちの映画の配給もやったことを評価し、今日、観客が映画にどうアクセスできるかが問題なのだと強調していた。『辺田部落』の農民の話し合いのシーン、長い沈黙をそのまま撮り続ける「長廻し」への指摘や小川映画における「土地」についての独自の関心にも鋭い視点を感じた。

二人の通訳を入れた2時間の会だったが、時間的には物足りないと感じたのは致し方ない。本当はもう少し長く、5時間ぐらいあれば、きっとさらにエキサイティングだったと思う。テーマにふさわしい発言者が並び、刺激的な発言が展開した。このシンポジュウムを企画し、発言者の人選をしたアテネフランセ文化センターの松本正道氏の慧眼には、いつもながら敬服した。

実は2002年、小川没後10年の時にもシンポジュウムが開催されていた。そのときのテーマは「アジアにおける小川紳介」だったと思う。ゲストに中国のフォン・イエン監督、台湾のウー・イフォン監督が出席していた。いずれも、アジアのドキュメンタリー映画に深く関わった小川の薫陶を得た人たちだが、フォン・イエンはその後『長江にいきる』(2007)をつくり、ウー・イフォンも『生命 希望の贈り物』(2003)を作った。いずれもヤマガタで高い評価を得、日本の映画館でも上映された。

それらのことも考えると、小川映画の国際的な意味はこれからもっと評価されることになるだろうし、上映を重ねることで、小川映画を「発見」することも必要だろう。

ところで、下の写真は昨日の夜、ぼくが食べたシタビラメの骨だ。小川映画とも一昨日のシンポジュウムとも何の関係もない。

 

1月
28
Posted on 28-01-2012
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1月になってからのニュースで、印象的というか、いろいろ考えさせられたのはイーストマン・コダック社の倒産の報道だった。だいぶ前から、映画の関係者の間ではコダックの株価の限りなくゼロに近い状況が噂されていたけど、とうとう倒産、日本式にいえば会社更生法が適用されたそうだ。

デジタル化という社会の変化に遅れをとったというが、フィルム事業にこだわりすぎたのかもしれない。フィルム技術関連のたくさんの特許の売却を図ったがうまくいかなかったとも聞いた。一方、わがフジフィルムはフィルムの技術を活用して写真や映画用のフィルム以外のもの(例えば液晶パネルの保護膜とか)を開発してデジタル時代に対処し、成功した。フジでもフィルムは既に主力製品ではないという。映画史を学んできたものとしては、少しばかりの感慨もある。なにしろ、コダックの名前はエジソンとともに映画史の最初のページに登場する。最初の映画シネマトグラフ・リュミエールも、コダック社のセルロイド製の17メートルのロール、パーフォレーションつきの映画用フィルムで撮影されたのだ。下の写真はリヨンのリュミエール博物館の庭に保存されている、最初の映画『工場の出口』が撮影された場所で写したもの。半透明のスクリーンに工場の出口の一場面がプリントされていて、その後ろに立つと(立っているのは僕だが)、工場の出口の登場人物のように・・・見えないか。

ぼくも現役のカメラマン時代は黄色のパッケージのコダックのフィルムで仕事をしたものだ。もちろんフジフィルムも使ったけど、海外での仕事などではやはりコダックを使った。しかし、テレビの取材のビデオ化→映像分野でのデジタル化という流れの中で、いまや写真を撮るのもデジカメで、フィルムカメラは“敢えて”使う時だけになった。映画自体もフィルムで撮る代わりにデジタルデータで記録するものが増えた。

さらに、映画館がデジタル化している。これも先日の新聞記事だが、全国の映画館で、デジタル上映への移行が進み、大手のシネコンではほぼ今年中にフィルム映写機をすべて撤去するという。いろいろ複雑な事情が絡んでいるのだろうが、とにかく近いうちに映画というものは映写機にフィルムを掛けて上映するものではなくなるのだ。

デジタル上映のための設備に1千万円かかるという。ムリなのだ。独立系の小さな映画館では、設備の導入か閉館かの選択を迫られている。ひどいことになっているけど本当の話だ。デジタル化できずに閉館する映画館は50館かそれ以上という予測も紹介されている。映画の製作、上映、公開の全過程からフィルムがなくなるなどという、信じがたい日が来るのだろうか。

 

1月
20
Posted on 20-01-2012
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1か月ぶりに時どきあれこれ日記を書く。その間、歳末と正月が過ぎて2012年になってしまった。去年の震災や原発事故のことをあれこれ考えたり、ぼんやりしたり、しているうちに暮れや正月はあっというまに過ぎていった。慌しかったり、忙しかったりしたわけではない。時間が過ぎただけ。

正月は長野県の蓼科で過ごした。ことしは雪が少なく、白一色の正月というのではなかったけれど、標高1300メートルの山の中でも道路には雪がなく、用意したタイアチェーンを使わずにすんだのは何年ぶりかのことだった。それでも期待通りの静かな正月だった。テレビもほとんど見なかった(家のテレビにいろいろ録画予約をしてきたが、笑)。

八ヶ岳連邦もいつもの年より雪が少ないか。夕日を浴びて赤く染まっている。右のとんがり山が阿弥陀岳だろうか。左の山が横岳か。実は山の名前はよく分からない、違うかもしれない。

さてベン・シャーンのこと。先週だったか『日曜美術館』でベン・シャーンの展覧会にちなんで番組をやった。親しい友人の吉田秀夫さんが撮影し、杉山幸子さんがディレクター。とてもよかったので、葉山の神奈川県立近代美術館にベン・シャーン展を見に行った。ぼくは三浦半島が好きで、よく行く。うちから車で1時間半もかかるけど、相模湾と、低いが深い山、丘陵地の野菜畑のつくる景色が気に入っている。三浦大根やシラス干しを買ったりするけど、葉山の御用邸前のそば屋もいい。ぼくの孫たちは小さいときから海といえば葉山の海岸だったのだが、何年か前の2年ほど、親が沖縄に住むことになって、沖縄の海を知り、海にもいろいろあることを知ってびっくりしたようだ。

ベン・シャーンの絵を始めて見たのは、ずいぶん前で、たぶん誰かモダンジャズのレコードのジャケットで、だったと思う。細い鋭い線で顔の表情が描かれていたのを強い印象で覚えている。ベン・シャーンが絵だけではなく写真も撮る人だったことや、リトアニアからアメリカにわたった家族の息子だというのも、番組で知った。

展覧会は大規模なもので、充実していたし、ベン・シャーンの魅力に満ちていた。彼の絵には強いメッセージ性があるが、それを線や形に昇華させる才能がただごとではない。写真がたくさん展示されていたのもよかった。写真はなぜか、そのときベン・シャーンが何を考えていたのか判らせてくれるような(本当は分からないのだけれど)印象があって実によかった。

ラッキードラゴンの絵本のことは知っていたが、美術館の売店で売っていた。いつもの三浦半島散歩では三浦大根を買うのだが、その絵本『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』を買った。

展覧会場にも展示されている久保山愛吉さんを描いたという『THE LUCKY DRAGON]』(1960)が日本の福島県立美術館所蔵なのを知って強い印象を持った。フクシマの原発事故と第五福竜丸の被曝の歴史が日本の戦後史の中で繋がっていると、ぼくは考え、去年、そのことをずっと意識してきたのだった。

絵本のアーサー・ビナードのことばもいい。

神奈川県立近代美術館葉山からは相模湾がよく見える