6月
08
Posted on 08-06-2014
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5月、6月は2度信州に行った。5月は連休明けの9日から12日まで。6月は1日から4日まで。なぜそんなに頻繁に信州か、といえば理由ははっきりしていて、ヒメギフチョウの「観察」が目的なのです。

ヒメギフチョウは春先のちょっとの間しか見られないし、何処にでもいるという蝶ではないので、その観察や採集には時期や場所が特定されてしまう。信州の生息地ではだいたい5月の連休の前後、場所によっては4月末、どの地域でもサクラの花の時期とこの蝶の出現が一致している。

連休明けではちょっと遅いのだが、連休中は避けて5月10日に、毎年行く信州某所のヒメギフチョウ生息地に行った。実は、僕たちはこの2年ほど、この場所でヒメギフチョウを見ていない。こいつの生態、1年間の生活史はほぼ解明されているのだが、たくさん発生した次の年にまったく現れなかったりして、完全には判っていない。もともと生息地が限定されているうえに、個体数も少ない種類だから、この場所は放棄されたかと心配していた。

ところが、今年は何年ぶりかで蝶が幾つも飛んでいるのに出会えた。明るい落葉樹林をヒラヒラと舞っている。下草の中にこの蝶の幼虫の食草ウスバサイシンの群落があり、葉を裏返して捜すと既に産みつけられた卵がある葉がたくさん見つかった。僕は蝶の採集はしない。網に入れることはあるが、見てから放してやる。写真は撮るけど。蝶が舞い、卵のついたウスバサイシンの葉裏を確認するだけ。下の写真がヒメギフチョウの卵群のあるウスバサイシンの葉だ。

2014年5月10日長野県大町市山中

2014年5月09日長野県茅野市山中

 

 

 

 

 

 

5月に確認した卵がその後、無事幼虫になったかを確認するために6月はじめにもう一度信州に行く。僕は卵から飼育した経験があるので、だいたい、2~3週間ぐらいで孵化するのは知っている。写真は卵の写真と同じ場所のものだ。ちゃんと幼虫になっていた。

ヒメギフチョウの幼虫というけど、つまり真っ黒い毛虫がうじゃうじゃ なのだ

 幼虫は初令、2令ぐらいまでは写真のように1箇所にかたまっているけど、大きくなると単独で葉を食って大きくなる。食草のウスバサイシンがたくさんある場所ならいいけど、彼らが大きく育ってさなぎになるまで養えるほど食草があるかどうかが問題。これはこの蝶にとって死活問題です。ウスバサイシンは林の中にあちこちに点々という感じで生えているけど、さなぎ直前の幼虫の食欲もすごい。

食草を求めて、この黒い毛虫が林の中の草むらをあちこち歩き回るのだろう。うまくウスバサイシンの株を見付けられればいいけど、あえなく餓死するやつも多いだろう。

で、すべての幼虫が育ってぶじさなぎになれるかどうかは判らない。判らないというより、たぶん無理だろうと思われる。運のいいヤツだけが7月に蛹化して、林の中の枯葉の下で夏、秋、冬をすごし、来年の春蝶に羽化するのだが、幼虫が単独生活になった後は、もう自然界で幼虫やさなぎを発見することは不可能だろう。来年の春のお楽しみなのだ。

 

5月
06
Posted on 06-05-2014
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最近はゴールデンウイークという言い方をしないらしい。テレビでは「大型連休」といっている。その大型連休の初めのほうの休日に、深大寺に近接した神代植物園へ行った。目的はナシ、天気がよかったから樹のあるところへ・・・というだけのはなしだ。

植物園はフジとボタンの盛りで、たくさんの人が花の写真を撮っている。森の中は明るい緑がきれい。それで写真を1枚。

神代植物園のコナラやクヌギの森 人がいないので深山の森のようだが、こちら側にはぞろぞろ人が歩いている

別の休日、青山のイメージフォーラムでやっているジャック・タチの映画を見に行く。午後4時からの『プレイタイム』を見るべく、3時45分頃行くと、あれれ、人だかりがしている。受付でチケットを買おうとしたら、なんと! 立ち見もすべて満員で札止めですと云われた。

世の中の動きに疎い、とは思っていたけど、映画にも疎くなっていた。ジャック・タチの映画が満席になるのか。ま、イメージフォーラムのこの上映の映画館は椅子が64席しかないけどね。入場を待っているのは若い人が多かった。ネットなんかでは情報が飛び交って人気なのかもしれない、まぁ、『プレイタイム』に限らず、タチの映画はめったに見られないのも確かだけど。

で、再挑戦の気分で5月2日に再び行く。こんどは2時間も前に着いて、整理券をもらい、ぶじに入れた。2日は金曜日で休日ではなかったけど、さすが大型たれ連休、満員だった。

『プレイタイム』はとほうもない映画だった。1967年にジャック・タチが法外な制作費をつぎ込んで作った超大作だが、まったく当たらなかったという。タチは破産に追い込まれたそうだ。映画は全編タチのやりたい放題のシーンが連続して出てきて、面白い。シーンごとに「面白さ」が炸裂する感じで、しかし、ストーリーは重要視されていない。映画の観客は物語を求めるのだから、これが興行的に失敗するのは当然でもある。

ジャック・タチ映画祭のチラシのデザイン

ジャック・タチを世界的な映画監督にした『ぼくの伯父さん』などよりも、ずっとタチ的な作品なのだろうと思う。この上映は「“フランス映画史に燦然と輝く異才”ジャック・タチ映画祭」というもので、ぼくも2回も脚を運んで、苦労した甲斐があったというものだ、そのくらいの値打ちがあった。

 

4月
19
Posted on 19-04-2014
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今年のサクラはどうだろうと、3月半ばに考えていた。冬が寒くて東京でも大雪が2度も降ったのでサクラの開花に関係があるのかと、心配したわけではないけど、朝の食事の時の話題になったりした。

東京のサクラは3月29日に予想よりほんのちょっと早く開花して、あっという間に、4月1日にはほぼ満開になった。電光石火の如しだけど、時期としては少し早い程度で普通かな。

4月2日に花見に行った。僕らの花見は「東京桜ドライブ」というので、車で東京中の桜の名所を廻り、車の中からする花見だ。車からは降りない。桜の名所、例えば千鳥が淵やイギリス大使館の通りなどは人出も多いし車も多くて渋滞している。それが好都合で、渋滞のお陰で運転しながらでもゆっくり花見ができるのです。

今年は親しい友人鈴木志郎康夫妻を誘った。鈴木は腰を痛めていて、歩いて外出するのが難しい。それで花見ドライブに誘ったというわけだ。

東京のサクラの名所はたくさんあるけど、ぼくらのコースは先ず、青山墓地の桜並木、イギリス大使館前から千鳥が淵、下町に向かって墨田公園、もどって東京駅のそばで休憩してお茶、水道橋から外堀通りを走って飯田橋・市谷間の濠ぞいのサクラ並木というもので、だいたい3時間半ぐらいかな、寄り道もいろいろあったので。花見をしながら、ずっと話ができるのも花見ドライブのいいところです。話は東京の街の変わりよう、だ。驚いたり呆れたり、だ。

4月16日には山梨県の清春芸術村へ行った。サクラ満開!

清春芸術村は廃校になった旧清春小学校の跡地に銀座の吉井画廊が作った美術館などの施設で、大正14年に植えられたというサクラの大木が広い敷地(元は小学校の校庭)を囲んでいる。背後に残雪の南アルプスが迫って、豪華な風景だ。

この日は晴れで風もなくて暖かかったけど、空が白くもやっていて山の輪郭がもう一つ鮮明ではなく、サクラが明るく写らないのがちょっと残念。後ろの山は南アルプスの前山で、ちょっと右に甲斐駒が岳 がある。

この学校で遊んだり勉強したりしていた子どもたちの記憶に、このサクラの景色はどんな風に残っているのだろうか、訊いてみたいような気分だ。

芸術村の敷地内にある建物の一つに東京の新宿から移築したという梅原龍三郎のアトリエがあって、森の中に建っている。吉田五十八の手になる建築だ。この写真はアトリエのガラス戸越しに中の展示をみたもので、梅原の写真も飾ってある。

 

3月
10
Posted on 10-03-2014
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 大震災から3年が経つ。地震や津波や原発事故が起きた直後の予想を遥かに超える大被害が今もぼくたちを追い詰めている。この3年間、ぼく自身が感じた衝撃はたくさんあるが、いちばん心に残って、深く考えてきたのは津波で流されたガレキの中からたくさんの写真が見つかったことだ。多くは家族が写ったり、その家の記念となるような写真だ。行方不明の家族を探しながら、写真やアルバムを見つけた人もいるだろう。自衛隊や消防やボランティアの人たちが救い出した写真も多いだろう。

それらは被災地の体育館や公民館に集められ、洗われて、元の持ち主に返ったものも多い。どこかの体育館で、大量の写真が洗われてロープのようなものに1枚1枚とめられ、びっしりと並んでいる光景を目にした衝撃が忘れられない。たくさんの人びとが自分の家族の写真を探しに訪れるのだ。

写真は人びとの記憶につながっている。19世紀の半ばに写真の技術が登場して、人は「過去」を客観的に見るという始めての経験をした。写された瞬間に時間を停止させるのが写真の本質的な特徴だ。写真に写っている画像は人物の記憶そのものだともいえる。                            フリーカメラマンの高橋宗正さんは津波で流された泥だらけの写真を洗って、1枚ずつ複写し検索できるようにデータ化する作業を震災直後から続けてきた。ガレキの中から拾い集められた写真を、これまでに75万枚洗浄して展示し、34万枚が元の持ち主に戻されたという(2月25日朝日新聞朝刊)。持ち主に戻った数の多さに驚かされるが、この作業の持続自体が途方もないことだったと感動させられる。

宮城県山元町で高橋さんが続けてきたこの活動を伝える本が出版された。『津波、写真、それから』(赤々舎刊)。

この本には拾い集められた写真のうち、痛みがひどくて画像がわからなくなったものが掲載されているほか、写真の洗浄の方法が詳しく説明されている。しかも、どの記事も英文が併記されている。画像がわからないほど痛んだ写真は世界の各地で展示されたという。世界中の人びとに衝撃を与えたことだろう。

『津波、写真、それから』のあるページ

写真と時間、写真に写されることと過去の体験について深く考えていくと、「写真」という表現であるにしても、常に過ぎ去っていく時間(現実)を止めることの意味にたどり着く。それはぼくたちにとっての記憶とは何かということでもある。記憶は時に薄らぎ、失われた記憶もある。これらの写真は画像を喪失することで、人びとの記憶をも失わせたというべきなのか。津波は海岸や船や建物だけではなく、人びとの内にある貴重なものをも押し流していったのだろうか。

 

 

2月
15
Posted on 15-02-2014
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先週の土曜日ときのうの金曜日、東京は毎週大雪に襲われた。1週間前の雪がやっと消えたかと思ったら、金曜日朝から終日降り続けた。

こういうことは珍しい。先週の雪はサラサラした粉雪で、風に飛ばされて北海道の吹雪のようになっていたけど、きのうからきょうにかけて、これも1日中降ったのは湿った重い雪。シベリアの寒気団が南下しているところに、南から低気圧が進んでくると、本来この低気圧は台風みたいなものだから、雨が降るところ、寒気の影響で雪になるらしい。本州の太平洋側に大雪を降らせるのだという。

雪が降ると写真を撮りたくなる。それも夜の雪景色がいい。この日記でも、何度か夜の雪の写真を載せたことがあるけど、きのうの夜、また撮った。

 

 

  今年の冬は寒い。なんでも日本上空の偏西風の帯がシベリア寒気の南下のために蛇行していて、蛇行のくぼみのところに寒気が大きく南下し、そのために例年になく寒いのだという。そして、偏西風を蛇行させているのは南太平洋だかインド洋だかの海水温が高いためだという。つまり、地球の温暖化なのだ。

地球温暖化の影響で東京の冬が寒いらしい。まったく訳がわからないけど、終日雪が降りしきる日々、ぼくは窓から雪の降るのを眺めて、北海道や新潟の雪を想像したりして、家からは一歩も出ず、書きものをして過ごしたが、それでも運動不足になるのも困ると思って、先週の日曜日には盛大な雪かきをした。これ、結構な重労働で、30分もすると汗びっしょりになる。その割に成果が上がらない。しかし、隣の奥さんや向かいの旦那とはなしをする機会はできる。雪が降らないと近所付き合いもできないということか。

家の前に止めてある車も当分だせない感じで、これは別にかまわないけど、テレビを見ていて感じたのは、先週は東京でも久々の大雪というので、テレビは興奮のきわみだったが、1週間後の大雪ではそれほど騒がなかった。報道の人たちが「またかよ!」といって、新鮮味がなかったのだろう。大雪の被害も影響も今回の方がずっと大きかったし、ひどかったのだが。

11月
18
Posted on 18-11-2013
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岩波書店の書評誌『図書』に連載していた伊藤比呂美さんの「木霊草霊」が今月号にて終了した。愛読していたのですこし残念。

『図書』では伊藤比呂美さんのほかに、池澤夏樹さんの「詩のなぐさめ」と赤川次郎さん「三毛猫ホームズの遠眼鏡」、それに隔月掲載の佐伯泰英さん「惜櫟荘の四季」を読む。他を読まない訳ではないが、この4つはたいてい読んでいる。佐伯さんのエッセイとは惜櫟荘の修復レポート以来のお付き合いだし、池澤さんの表現についての意見や赤川さんの世の中の諸々についての感想には共感することが多い。

伊藤比呂美さんはアメリカと熊本とを行き来し、その間、植物のことを書き続けてきた。最終回はセイタカアワダチソウのこと。アメリカでミシガン州に旅行して、そこに自生するセイタカアワダチソウを見たことが書かれている。この植物は日本ではみんなが知っているように、アメリカから渡って来た帰化植物だが、伊藤さんが住んでいるカリフォルニアにはないという。

伊藤さんの文章のなかにセイタカアワダチソウとアキノキリンソウの区別についてのあれこれを書いた部分がある。伊藤さんはむかしある本(たぶん歳時記だという)でセイタカアワダチソウ、別名アキノキリンソウという記述を読み、その後調べて真相を知ったという。以下、伊藤さんの記述を引用。

「セイタカアワダチソウはキク科アキノキリンソウ属の植物である。アキノキリンソウ属のアキノキリンソウという植物も別にある。セイタカアワダチソウは帰化植物だが、アキノキリンソウは在来だ。ともに秋になると黄色い花が路傍に咲き群れる」

外国から渡来した帰化植物でも日本に在来の植物とごく近い種に属するヤツもあるということらしい。相撲の白鵬や旭天鵬を見ていると、もともと日本人で、もともと相撲取りだったかのかと見まがうけど、セイタカアワダチソウ談義に通じるものがあって面白い。

ついこの間、信州蓼科に行った。ちょうど日本中が今年イチバンの寒波に見舞われた時で、標高1300メートルの高地は冷え込んで雪もちらついた。まっ黄色になったカラマツの小さな葉が散って飛び交い、まるで雪が舞うように見える。

下はこの記事の『図書』とも帰化植物とも関係がないが、路傍で見た霜柱の写真。

子どもの頃は東京でも、寒い朝には霜柱がよくできた。踏んずけるのが楽しみだった。

 

10月
16
Posted on 16-10-2013
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9月から10月にかけて(10月ももう半月も過ぎてしまったが)、蓼科へ行き、山形へも行った。蓼科は収穫期の葡萄畑を見に(山の紅葉も見に)、山形は「山形国際ドキュメンタリー映画祭」に。

蓼科の宿のベランダのガラス戸に茶色の大きな蛾が止まっているのを見つけて撮ったのが新しい見出しの写真。これはクスサンというヤママユガ科の蛾で、大きくて模様が派手で目立つ。

クスサンは「楠蚕」の意味だが、クスノキをはじめケヤキやナラ、クヌギ、クリなどいろいろな樹の葉を食べて育つクスサンの幼虫は別名シラガタロウと愛称で呼ばれることもある、白い毛に覆われた毛虫で林の中で目立つ存在だ。

ヤママユガ科には大きな美しい蛾が多い。翅を拡げると30センチにもなる巨大なヨナクニサンや夏の夜明りに集まるオオミズアオも同じ仲間だ。蛾や蛾の幼虫(多くは毛虫)は嫌われているけど、蝶とは違った独特の翅の模様が美しい。

 翅にくっきりと見える丸い目玉のような模様が特徴だが、これ、天敵から身を守る擬態の一種らしい。蛾の天敵とは主として鳥だろうが、ふくろうの目玉のように見えるこの模様が鳥たちを驚かせるのか。

奇数年に一年おきに開催される山形国際ドキュメンタリー映画祭はいつも10月初旬、今年は第25回目の開催だという。コンペ参加作品、アジアや日本の新作ドキュメンタリー映画の上映のほかに、今年は「未来の記憶のために」と題されたクリス・マルケルの作品の特集上映が企画されていた。クリス・マルケルは2012年7月に(つまりヤマガタの24回目と25回目の間の年に)亡くなった。91歳、パリの自宅で。

『ラ・ジュテ』や『サン・ソレイユ』を見ているだけの僕にとっては、クリス・マルケルの60年におよぶ制作活動の全貌が紹介されるという貴重な機会だった。本当は他の映画はさておき、40本以上のクリス・マルケルの作品を見続けていたいものだと思ったけど、そうもいかない。それでも、1950年代の『北京の日曜日』や『シベリアからの手紙』など、初期の作品を何本も見ることが出来たのは収穫だった。

今回のヤマガタでの大きな目的は纐纈あや監督の『ある精肉店の話』と朴思柔(パク・サユ)監督の『60万回のトライ』を見ることだった。そして2本ともすばらしいできばえで見ごたえがあり、感動し安心もした。両方とも応援しているスタッフや親しい友人たちが関わった作品だったので、よかったなぁ・・・というのが実感。

このブログを読んでくれる数少ない人びとにはぜひ見てほしいので、感動や安心の内容を詳しくは書かないけど、『ある精肉店のはなし』は飼育している牛を自分たちの手で屠畜解体する肉屋さん家族のドキュメンタリーで、息をのむようなすばらしい場面に圧倒される。11月29日からポレポレ東中野で公開するそうだ。11月29日というのは「いい肉」の日なのだ。

『60万回のトライ』は大阪朝鮮高校ラグビー部のメンバーの3年間を描いたドキュメンタリー。朝鮮高校のラグビーが強いのは知られているが、この映画からほとばしる面白さは、僕には、これまで経験したことのない種類の面白さだった。笑いながら、映画の途中でそのことに気がついた。これはなんだろう、と。

こちらも来年の春には公開される予定だが、僕が映画から感じた、経験したことのない印象の正体を確認したいものだ。

 

 

 

8月
30
Posted on 30-08-2013
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掲載した写真は2013年8月20日の朝日新聞夕刊の紙面だ。90年前の関東大震災の時、たぶん9月1日の午後、地震発生からそんなに時間の経っていない頃に撮影された写真が大きく掲載されている。

これは9月1日の地震直後に皇居前広場に避難した被災者を撮影した写真だが、当時の報知新聞が馬場先門の北側から南西方向に向けて、角度を変えて写した3枚の写真をつなげたパノラマ写真だ。皇居前広場には30万人が避難したといわれているが、この写真でもわかるように人の群れはもとより、家具や布団などを積んだ大八車や人力車と荷物で埋め尽くされている。

実はこれは墨田区の両国国技館近くの東京都慰霊堂の併設された復興記念館に展示された写真パネルを紹介した記事である。それによれば、展示されたパネルは縦1.2メートル、横4.6メートルという巨大なものだという。

復興記念館は旧被服廠跡地にあり、震災の時、僅かの間に火災旋風に襲われて4万人近い人が焼け死んだ場所である。そこに慰霊堂と記念館が建てられた。東京の下町ではその後、東京大空襲でも多くに人が死んだ。慰霊堂と記念館は、大正と昭和の二つの大惨事の死者を悼み、後世に伝えるものだ。

その巨大な写真パネルを見に行った。これだけ大きければ、写真に写っている人びとの表情が分るだろうと思ったのだ。

新聞の紙面では分らないが、パネルは特別な迫力に満ちていた。つなぎ合わせて合成した3枚の写真のうち左右の2枚はオリジナルのプリントが残されていたが、真ん中の1枚はプリントは失われ、当時の印刷物からの複製だという。確かに、真ん中3分の1には印刷の網目が見える。だが、そんなことが気にならないほど、写っている人びとの姿や表情が鮮明に分るのだ。

まず、人と荷物を積んだ車の多さに驚く。ここではみんな無事だったが、東京中がこのような状態だったという。この荷物が至る所で燃え出し、多くの犠牲者を出すきっかけになった。人より荷物の方が多いのでは、と勘違いしそうになる。

ブリューゲルの絵にたくさんの庶民や村人の群像を描いたものがあるが、この写真全体に、あの雰囲気を思い切り拡大したような印象がある。

そして、なによりも、人びとの表情が実に落ち着いて、安心しきった感じなのに驚かされる。人びとは何をこんなに安心しているのだろう。ここまで避難すれば、もう大丈夫とでも思っているのだろうか。表情だけではない。彼らの仕草や身体の格好にまで、安堵や安らぎが感じられるのだ。不思議な感じがする。

それとも、人は最悪の事態に直面すると、このような冷静な態度をとり、穏やかな表情を浮かべるものなのか。

パネルを長く見つめていて、不思議な感じを拭うことができなかった。

 

 

 

 

7月
13
Posted on 13-07-2013
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そのあと神田川は御茶ノ水駅の上にかかった聖橋から、橋の名前を挙げれば、順に昌平橋、万世橋、和泉橋、美倉橋、左衛門橋、浅草橋、柳橋を通過して、両国橋の少し上流で隅田川に合流する。台東区柳橋1丁目だ。

左の写真は柳橋のすぐ近くにある小さな神社の前で撮ったものだが、柳橋芸妓組合と読める。ゲイは旧字だ。江戸時代から、大川に面したこのあたりが花街として栄えていて、柳橋芸者なんていうらしい。柳橋芸者は唄と踊りで立つという誇りがありプライドが高かったのだという。

右は橋の上から神田川上流の方を見た写真だが、大川に繰り出して船の上で飲み食いを楽しむ舟遊びのための船がたくさん舫っている。船宿や釣り船もたくさんあるらしい。いちばん川下に来てみると、神田川も途中の風景とはずいぶん違ってきたものだ。

 

 

 

 

橋の上から隅田川を眺める。隅田川から見れば、柳橋が神田川に架かる最初の橋ということだ。右側に見えるのが両国橋、川向こうの白いベルト状の道が首都高速向島線だ。

現在の柳橋は関東大震災の後、昭和4年に震災復興で建設されたものだという。

下町探索のようなのが流行っているのだろうか。時々人がやってきて、橋の上に立って景色を眺めたり写真を撮ったりしている。

何か用事があってこの橋を通る人は見かけなかった。

7月
01
Posted on 01-07-2013
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神田川が新宿区北部の西武新宿線下落合駅附近で大きく右に曲がり、東向きに進んでいくことは前回書いた。そのあたりから流れの左岸が台地になっている地形のことも書いた。目白台という町名もある。かつては関口台、小日向台もあったけど、関口、小日向となって、町名としては消えてしまった。しかし小学校や公園の名前には今でも残っている。川の北側に台地がずっと続いているのだ。

その台地は昔から利用されていたらしく、下落合駅の北の坂の上にある「おとめ山公園」は徳川将軍家のお狩場だったというし、豊島区関口2丁目の「椿山荘」は江戸時代の誰だったか大名の下屋敷を、明治になって山縣有朋が買って自分の屋敷にしていたものだという。神田川はその先も台地のすそに沿って進み、御茶ノ水駅横の大渓谷!を通過して隅田川に流れ込む。

江戸川橋のあたりで川は首都高速5号線(池袋線)の下を流れることになる。神田川は都市河川では珍しく暗渠の部分がない川だが、ここから大曲、飯田橋を経て小石川橋までの区間は首都高速道路が屋根のようになって川を覆っている。そして、高速道路は、小石川橋の近くで神田川から別れる日本橋川の方に沿って進む。で、日本橋川ときたらほとんどが高速道路に覆われている状態である。「日本橋」の橋としての景観が失われたことがよく話題になっている。

で、再び高速道路の覆いを取り払った神田川は御茶の水渓谷に至る。本郷台地の南西の端っこになるのだろうか、御茶ノ水渓谷という呼び名があるのかどうかは知らないが。JR中央総武線水道橋駅から御茶ノ水駅の先まで、ほんの1キロほどだが、何本もの電車の線路と渓谷の底を流れる神田川が並行している景観は何処から見てもすばらしいもので、世界の大都会の風景として、ちょっと他には類を見ないものだろう。だいたい大都会の中心部に、こんなに深い谷があることだけでも不思議というべきだ。

写真は御茶ノ水橋の上から下流を眺めたものだが、僕はここに写っている聖橋から見る下流の景色も好きだ。そこから見ると、左側の川岸に戦後すぐに出来たと思われる建物群がそのまま残っていて、そのなかに1軒「淡路亭」というビリヤードの台や道具の卸問屋がある。昭和30年代から今も変らずにある。若いときにビリヤードに凝ったことなんかを思い出したりもする。

神田川はその先、靖国通りの北側をまっすぐ東に向かい、浅草橋を経て、柳橋の先で隅田川にそそぐ。両国橋のほんの少し上流というあたりだ。