6月
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Posted on 20-06-2011
Filed Under (未分類) by toda

『無常素描』は地震と津波に襲われた東北の太平洋沿岸地帯を撮った映画だ。これを作ったのは大宮浩一さん、去年話題になった『ただいま それぞれの居場所』の監督だ。

4月末から5月の連休に、大宮さんたちは東北の被災地を走って撮影をし、すぐに編集して、完成させたという。いま、「オーディトリウム渋谷」で公開中だけど、大震災に取材した映画が、こんなに早く劇場で公開されたことに、先ず驚かされる。

映画に描かれているのは津波被災地の風景、被災地で出会った人々との会話、それから時々画面に出てくる作家で僧侶の玄侑宗久さんの話。玄侑さんも福島県三春町の寺の住職で原発事故の被災者だ。

玄侑さんの部分はともかく、被災地の風景も避難所の様子も被災者の話も、ぼくたちは3月以来、毎日のようにテレビでたくさん見てきた。この映画の画面に映し出されるのはテレビで何度も見た風景と同じところも多いし、見覚えのある場所だったりするのだ。

ところが、暗闇の中で大きなスクリーンに映し出された風景からぼくらが感じるものは、毎日テレビで見ていた風景の印象とは全く違う。何が違うのだろう・・・というのが最初の15分ぐらいを見たときの感想だ。

そう、何が違うのだろう。

違いの理由はいっぱいあるだろう。テレビで見る映像と暗闇でスクリーンに投影された映像とでは「見えるもの」の質が違う・・・これはよくいわれているけど、この映画ほどそれを顕著に感じさせたのは珍しい。

しかし、ぼくたちが何かが違うと感じたのは、その理由だけではない。この映画では、普通文字で示される場所や人の名前や日付けなどは一切出てこない。どこの風景なのか、話しているのが誰なのか、何時のことなのか、何の説明もない。唯、唯、風景が映り人が話す。風景は風景でしかなく、人の話はその人の言葉でしかない。説明がないから、どこの被災地の風景なのか、誰が何について語っているのか判らない場合も多い。判らないけれど、説明不要の領域で、それらは津波の痕であり、被災した人のことばなのだ。

ぼくたちはこの映画を見ることで、津波の痕や被災者のことばに(説明抜きで)じかに触れることになる。そこが、テレビとの違いだ。テレビは映像や音声を動員して、詳しく説明してくれる。それはもちろんテレビには必要なことだけど、映像や音声にじかに対面することとは少し違う。この映画の映像や音声は何かを説明するために動員されたのではない。つまり、情報化されていない。

津波の痕の惨状や被災地の人びとの言葉がぼくたちの内側に、いわば気持ちのド真ん中にいきなり突き刺さるようなものだ。映画の力だと思う。

 

さて、東京の好きな風景。今回はこの写真です。

御茶ノ水駅の上の聖橋からの眺め。有名な場所なのでちょっと気がひけるけど、好きな風景としては外せないところだ。大都市の中心部の景観としては世界的にも類がないと思う。

 聖橋からの眺めでは、これとは反対側(下流側)の景色も変化に富んでいて面白い。ついでに聖橋自体も面白いけど、これは御茶ノ水駅のホームから撮ったもの。本当は神田川上の舟から撮りたいところだ。