3月
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Posted on 20-03-2011
Filed Under (未分類) by toda

3月11日の大地震から10日目。史上最悪の大災害と次々に起きる異常事態に落ち着くことができない日々を過ごしている。津波の被害の全貌がまだつかめないというのだから、絶望的な気持ちになる。東京に居てもこうなのだから・・・。テレビを見ても、新聞を読んでも、方々から入ってくるメールやインターネット上の情報も、絶望的な気持ちを和らげてくれはしない。こんなことが現実に起きるのか、と思うが、現実に起きたのだ。

宮古市の田老の防潮堤の大きさにびっくりしたのはいつの事だったか。あれが全く役に立たなかったのだから・・・。被災地は「復旧」できるのだろうか。そこに人が戻ってきて、またもとのような生活を始められるのだろうか。ぼくにはそれを想像することができない。固唾を呑んで身を硬くして見つめる以外に何もできない。

でも、そんな状態にあっても日常生活というのは当たり前のように目の前にあり、そして過ぎていく。ぼくは毎年この時期は花粉アレルギーにやられて、辛い気分で過ごすのだが、だいたい、ミモザやアンズの花が咲き始めるころがピーク。今年はそれが一段とひどい。日常茶飯事だが日常のむこうに何か恐ろしい異常事態が迫っているような不安がなくならない。

 

ミモザ

アンズ

何も手につかないので散歩に出たりもする。考えてみると日常生活というのは曲者で、若い頃読んだエーリヒ・ケストナーのベルリン陥落の時期の日記には、動乱の最中だというのに“退屈な日常生活”!についての記述が頻繁に出てくる。どんなに逼迫した状況でも退屈な日常があるらしい。

かってないほどの災害に見舞われ、日本中が危機的な状況に苛まれているというのに、散歩に出て花の写真を撮ったりする。連続的なくしゃみも涙目や鼻水も・・・何とかならないか、と思う。人間の生活は多面的で複雑なもので成り立っている。

被災地の避難所で辛い時間を過ごす人びとの希望は水や食料や薬・・・、地震や津波が奪っていったのは、多面的で複雑な人間の生活そのものだ。