2月
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Posted on 15-02-2011
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Sound Migrationは<異才の作曲家・ボーカリスト・ギタリスト・・チラシによる>である国広和毅をリーダーとする4人のミュージシャンの演奏と女性演者のパフォーマンスによるコンサートのタイトルだ。<日本⇔トルコ:わたりゆく音>というコピーが付いている。先日聴きに行って、ちょっと刺激的で実に面白かった。

国広和毅

演奏もボーカルも身体パフォーマンスも,どれも即興的に演じられているらしい。ミュージシャンがそれぞれ個性的でスリリングな演奏を見せてくれる。コントラバス奏者の河崎純はまるで身体と楽器が合体してひとつになったような動きの中から、不思議な音を響かせる。音が河崎の身体のなかから出てくるように思える。ギター奏者のシェヴケト・アクンジュの奏でる音はそれが前衛的なのか古代から伝わってきたものなのか、訳がわからなくなるような響きだ。そしてヴオーカルのサーデト・テュルキョスという女性歌手。東トルキスタンからトルコに逃れたカザフ系の難民の生まれだという。ジャズとも土着の民謡ともつかない不思議な歌声は、ことばの意味がまったく判らないから、むしろ判らないからこそ、人が発する声というよりはもっとプリミティヴな音であろうとしているかのようだ。

国広とサーデトのデュオがあり、サーデトはカザフ語で歌っているという。同時に発せられる国広の歌は何語だか(始めは)よく判らない。しかし、やがてそれが日本語で何か語っているのだと気付く。何か物語があるらしいが、全体の意味は遂に判らない。念仏に近いものという印象があるが。カザフ語と日本語の念仏が高く低く、強く弱く、共振したかと思うと反発し合う・・・、両者の発しているのは歌声というよりも音だ。僕らは音の中に何か判らない物語を聴こうとしていたのだろうか。

それにしても、即興演奏というのは、フリージャズのセッションなどもそうだが、演奏者の没頭振りを見せ付けられて、これはいつまでも終わらないのではないかと余計な心配をしてしまう。国広和毅のグループではどうだったのだろう。いずれのシーン(彼らは曲とか演奏とかいわずに 、シーンというらしい)もなんとなく適当な時間に終了するのだ。なにか、「ここで終わろうぜ」みたいな合図があるのだろうか。