4月
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Posted on 04-04-2017
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春になって庭の花々が咲き始め、木々の新芽が芽生えはじめた。下の写真はツルの先に咲きはじめたアケビの蕾。この時期に毎年、こういう可憐な花をつけるけれど、うちではアケビの実がなったことはない。花か咲くだけ。もう一枚、これはモミジの芽吹きの写真。

モミジの新芽も秋の紅葉と同じようにあざやかな紅色で印象的だ。それぞれ、春が来たことを実感させる。

しかし、きょうの日記は庭の花や芽吹きのことではない。写真がないのもさびしいので掲載した。

3月末ごろの朝日新聞に石牟礼道子さんが90歳を迎えた3月11日に「石牟礼道子の宇宙」と題するシンポジュウムが開かれたことが紹介されていた。90歳の石牟礼さんは熊本市内の病院で療養中だというが、僕はその記事に刺激をうけて、『苦界浄土』をあらためて読み直すことにした。記事によればシンポジュウムのパネリストが赤坂真理・いとうせいこう・町田康、コーディネーターが赤坂憲雄というので、そのメンバーに興味を持った。このシンポジュウムに参加できなかったのは残念だったけど、その代わりに『苦界浄土』を再読して、石牟礼道子の宇宙に触れようと思ったのだ。紹介されてた出席者たちの発言は充分に刺激的だったのだ。

「石牟礼道子の宇宙」といえば、渡辺京二さんが数年前に出した著書『もうひとつのこの世』につけられていたサブタイトルでもある。今度その本も部分的に再読して、「『苦界浄土』の世界」という渡辺京二解説(これは苦界浄土本編と同様に重要な記述だと思っている)が、1972年講談社文庫版『苦界浄土』に初出されたのを知った。それやこれやで、しばらくの間、石牟礼道子の、ほかにはない文体に浸っていた。

シンポジュウムでは、赤坂憲雄さんが『苦界浄土』は「不幸なできごとを描くのと同じぐらい、それ以前の幸福な光景を描いている」ことを指摘している。これはたしかに『苦界浄土』の記述の大きな特徴だが、僕はすぐに福島の原発事故による放射能汚染で故郷を失った多くに人びとの言葉を思い起こした。原発事故の影響を受けた地域で、故郷を離れた人びとが語るそれ以前の故郷の豊かさや美しさ、安らぎや幸せの実感を最近見た幾つものドキュメンタリー映画で眼のあたりにしてきたのだ。古居みずえ『飯館村の母ちゃんたち』や大森淳郎『赤宇木』そのほかたくさんのドキュメンタリー映画の登場人物が語るの失われた故郷への思いの言葉は『苦界浄土』の不知火海のかつての豊かさを伝える微細な記述につながっている。