8月
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Posted on 17-08-2012
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佐伯泰英の小説は読んだことがないのだけれど、文庫書き下ろしの時代小説という新機軸で有名だ。多作で「月刊佐伯」と揶揄され(←佐伯氏本人がそういっている)ながら、文庫本180冊、累計4,500万部というのだから,1冊も読んでいないというのに、すごいとしかいいようがない。

その佐伯泰英に『惜櫟荘だより』という著書がある。つい最近岩波書店から出た、これはハードカバーのエッセイ集で、岩波の書評誌『図書』に連載されていたもの。時代小説作家と岩波書店というのがミスマッチのようで目を引くが、実は以下のようなわけがある。

佐伯氏は熱海の伊豆山の崖の上あたりに仕事場を持っていた。その仕事場の隣に古いが堂々たる日本家屋があり、それが、今は住む人のない「惜櫟荘」だった。実はこれ、岩波書店の創始者岩波茂雄が昭和17年だかに建てた別荘で、建築家吉田五十八の手になる文化財ともいうべき建築なのだった。

いろいろな経緯は略すが、その惜櫟荘を佐伯氏が買い取り、完璧な修復をした後、将来に亘って自身で管理することになるのだ。一体どのくらいの資金が必要だったのかも含めて、まことに快挙というべき決断だが、そのいきさつを物語作家らしい軽妙な語り口、筆致で書いたのが『惜櫟荘だより』だ。そこに書かれている岩波茂雄の別荘建築にかける情熱や期待、また吉田五十八の建築家としての徹底ぶりもすごいが、著者佐伯氏の二人の先人へのリスペクトにも並々ならぬものがある。

もう一つ興味深いことがあって、それは次のような因縁だ。

岩波茂雄が惜櫟荘を建てたのは戦争中のことで、軍事優先の時代に、八方手を尽くして日本中から最高の材木、石材などを入手したという。莫大な金額がかかったことと想像できる。岩波書店は昭和の始めに古典の普及を目的に、はじめて文庫本を発行した。その岩波文庫は人気を得て、よく売れたという。そして、佐伯氏が惜櫟荘修復落成式で語ったという挨拶がいい。

「旧惜櫟荘が建設された戦前、建築の原資となったのは、売れ行き好調だった岩波文庫だったようです。戦場に徴兵される若人らは、限られた私物の中に岩波文庫の古典を忍ばせて行ったとか・・・。70年の歳月が過ぎ、文庫の意味合いも変わってきました。かくいう私は文庫書き下ろし時代小説という、これまで老舗出版社が考えもつかなかった一発勝負の文庫書き下ろしで出版界になんとか生き残ってきた小説家です。惜櫟荘は岩波文庫で建てられ、七十年後、書き下ろし文庫で守られた建物・・・」。

徴兵され、戦場に赴く若者が私物の中に文庫本を・・・。うーむ。すぐに思い浮かぶのは鈴木六林男の「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」という一句だ。鈴木六林男フィリピン戦線での作だという。六林男はそこで負傷帰還して、戦後活躍した。

お盆の休みも過ぎたけど、空にはまだ夏の雲