3月
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Posted on 30-03-2012
Filed Under (未分類) by toda

毎年おそわれる重症の「春先アレルギー」にもめげず、世田谷の弦巻という、あまり縁のない界隈に出向き、竹内公太という人の個展(?)を見に行く。花粉症というが、僕の場合はアレルギーの元凶、正体はよく分からない。症状としては典型的な花粉症。涙目が痒く、くしゃみを連発して、洟をかみ続ける。それでも、強い南風に吹かれながら出かけたのは、一部でかなり話題を呼んだこの展覧会「公然の秘密」がもうすぐ終わってしまうからだが、なるほど、なかなかおもしろかった。

世田谷の住宅街のバス通りに面した小さなビルの1階の倉庫のようなアートスペースで、それは開催されていて、入り口の様子は写真のような感じだ。

腰を屈めないと入れないような小さな扉があって、「入り口はこちらです」と書かれている。そこから中に入るのだが、上の両方の写真に写っている縦長の小屋の中に向こうむきに座った人物がいる。たぶんそれが「竹内公太」なのかと思いながら、中に入るといくつかの展示物が壁面や画面上に展示されている。大きな壁面をスクリーンのように使って、「指差し作業員」の映像が映し出されている。福島第一原発の骨組みだけの無残な姿をさらした原子炉建屋を背景に、白い防護服に身を包んだ作業員がこちらに向かって(カメラに向かって)指差している。よく見ると画面は動いている。全体で25分ぐらいの動画なのだ。ずっと見ていると、終わりの方で人物は手前の方に歩いてきて画面から消え、しばらくするとまた現れて、こんどはカメラに近い位置に立って(前より大きなサイズになって)同じ指差しの動作を続ける。それ以外には人物はほとんど動かない。映像の前に立って見ていると、画面の人物はつまり僕に向かって、じっと指差しているのだ。それがなかなかスリリングだ。

「竹内公太」は福島原発の作業員募集に応募して、作業員を務め、その様子をブログに書いたり、東電の記者会見にも出て、質問したり、ということを続けてきたのだという。それがこういうアートパフォーマンスに昇華したのだろう・・・とまぁ、僕は勝手に想像しただけだが、本当のところはどうだか分からない。というより、そんなことはどうでもいいともいえる。

会場には作家と話のできる装置があって、僕も、それを使って会話をした。椅子の前に、マイクのように置かれた紙コップのようなものに口を近つけて声をかけると、返事がある。入り口の小屋にいた人物が返事をしてくれるのだ。外と室内はよろい戸のようなシャッターで遮られている。紙コップのマイクは外と糸電話で繋がっているのだという。かすかに声は聞こえるし、質問に答えてくれるが、姿は見えず本当に竹内公太かどうかは分からない。しかし僕は質問をしてみた。少し意地の悪い質問だ。

「この映像を撮影したカメラは『ふくいちライブカメラ』ということですけど、それは何ですか?東電の監視用カメラですか?映像の録画は誰がしたのですか?それを提供されたのですか?・・・」

糸電話を伝って返ってきた返事に僕は大笑いした。糸電話の相手は「ええと、まぁ、記憶があいまいで、よく覚えていません・・・」といったのだ。紙コップに向かって僕は「あ、そうですか、分かりました」といって笑ったけど、それが相手の耳に届いたかどうかは分からない。何しろ、糸電話での会話は声が小さくて、やっと聞こえるかどうかの音量なのだ。

僕は、このパフォーマンスが何かを暗示しているのかどうか、という風には考えない。でも、例えば安部公房の小説を読みながら体験するようなスリルに近いものを感じるのは、たぶん僕だけではないだろう。

何年か前、大学の授業で写真表現を取り上げたことがあって、僕は「写真の人物は何を見ているのか」という共通のテーマで、広告写真や肖像写真、報道写真を解析したことがある。そのとき、この「指差し作業員」の画像も使いたかったなぁ・・・と思ったものだ。