12月
02
Posted on 02-12-2011
Filed Under (未分類) by toda

中西悟堂という名前をどのくらいの人が知っているだろうか。もともとは詩人だけれど、詩人としてよりは「日本野鳥の会」の創設者で、自然の中で生きている鳥のことをいうのに「野鳥」いう言葉を使って広め、野鳥の保護を一生の仕事にした人だ。ナチュラリストの嚆矢のような人でもある。

杉並区立郷土資料館分館というのが天沼の天沼弁天池公園にあって、そこの企画展で「野鳥の父・中西悟堂と善福寺池」なる展示会をやっていた。中西悟堂は長く善福寺池の近くに住んでいて、善福寺公園の鳥や昆虫、その自然環境に親しんだ期間があり、地域との関わりが深い。それでこういう企画展が開催されたようだ。

展覧会には中西悟堂の業績を物語る資料や写真、著作や手紙など、大正から昭和、戦後までのたくさんの品物が展示されていた。その中でぼくが興味をひかれたのは詩人・金子光晴が中西に宛てたメッセージの直筆原稿。金子光晴の文章がいい。

「・・・君は自然の進行のなかに生きた詩を求め/鳥や草を友とするとともに、素はだかで/その心にわけ入り/いのちの花咲く美をわが物にした/君のしごとこそ/真実でゆるぎなく/詩のうちの詩ということができよう/生涯の暮方にきて/再び僕は君の明知と/才能を讃え、頭をさげる」

前段に若い頃の中西の詩への賛辞があった後の文章だが、こんなに率直な金子光晴もあるのかと、少し驚いた。1970年代の原稿だと思うけど、展示にはその解説や表示がなく、いささか不備。ついでに言えば、中西悟堂は家では四季を通して下穿きひとつの裸で過ごした人だが、そういう写真が一つも展示されていないのも不思議なことだ。チラシにあるようなきちんとネクタイをした中西の写真はむしろ珍しい。